エストニア情報

令和3年4月20日

エストニア案内・便利リンク

 エストニアの首都タリンは、バルト海のフィンランド湾に臨む港町であり、中世ハンザ都市の雰囲気をそのまま残し、多くの観光客を魅了している。

 エストニアの人口:約131万人(うち、タリンの人口は約41万人)

 面積:4万5227平方キロメートル(日本の8分の1強の大きさ)

 公用語:エストニア語

 通貨:ユーロ(EUR)
 ※ なお、当地での支払いは、デビット・カードやクレジット・カードが主に使用され、現金を使用する機会は限られている。通常、クレジット・カードの暗証番号を求められる。

 時差:日本時間より-7時間。(サマータイム実施時は-6時間)

 電圧:220ボルト

  プラグ:Cタイプ(二つの丸いピンが付いたヨーロッパタイプ)

エストニア共和国基礎データ

主な見所

旧市街

  • トーンペア城  Toompea
    市内を見下ろす高台に建つトーンペア城は、かつてこの地方を治める領主の居館だった所。城の一角に、高さ45.6mの塔があり、「のっぽのヘルマン」(Pikk Hermann)と呼ばれ、これだけが15世紀に建てられたままの姿で残っている。城の原型は13世紀に造られたが現在残っているのは19世紀に建て直されたものである。現在はエストニア国会議事堂として使用されている。
     「のっぽのヘルマン」(Pikk Hermann)の上には、歴史上、エストニアを支配した外国勢力により様々な旗が掲げられてきた。今では当然エストニアの国旗が掲げられており、独立したエストニア共和国の象徴的存在である。現在、エストニア国旗は日の出(但し午前7時以降)にエストニア国家の調べとともに搭の上に掲揚され、日の入り(但し午後10時以前)に愛国歌「我が祖国、我が愛」とともに搭から下される。
     城の脇にある公園からの見晴らしは良く、静かで落ち着ける場所となっている。
    入場可(HP要チェック: http://www.riigikogu.ee/index.php?id=34594)。
  • 大聖堂(トーム教会)  Toomkirik
    トーンペア城のすぐ近くにあり、13世紀に建てられた教会である。今世紀に入り火災に遭って一部が建て直されたが、教会そのものは概ね原形を残している。教会の床には13世紀~14世紀前半頃の墓石が横たわっている。入場可。
  • アレクサンダー・ネフスキー教会  Aleksander Nevski Katedraal
    国会議事堂の真正面にあるロシア正教会寺院は、20世紀初頭に建造された。入って直ぐ右側の壁には日露戦争の戦没者(エストニア人を含む)を追悼するプレートが掛けられている。入場可。
  • タリン旧市庁舎  Raekoda
    下町の中心地ラエコヤ広場にあるタリン旧市庁舎は、1404年の建築物。現存する北欧最古のゴシック建築と言われている。この旧市庁舎には高い塔(65m)が1つ建っており、その先端には、旗を持った番兵の像がある。この像が「トーマスおじいさん」(Vana Toomas)で、広く市民に親しまれ、タリンのシンボルのひとつとなっている。入場可(9~6月は要予約)。
  • ニグリステ教会(聖ニコライ教会)  Niguliste Kirik
    旧市庁舎の南西、ニグリステ通りにある大きな教会。13~15世紀に造られたゴシックスタイルの教会だが、17世紀にバロックスタイルに造り直された部分もある。内部の本堂にあたるところは、現在はコンサートホール及び博物館として使用されている。また、博物館には14世紀のレリーフや建築用具などが展示されている。入場可。
  • オレヴィステ教会(聖オレフ教会)  Oleviste Kirik
    旧市街の北寄り、ライ通りとピック通りの間にあるゴシックスタイルの教会。13世紀に建てられた巨大な尖搭を持つ同教会は、当時高さが159mあり、中世の時代には世界で最も高い建造物と言われた。この教会の歴史を通じて、その尖搭は繰り返し雷に打たれ、完全に焼け落ちたことも3回あった。現在、尖塔の高さは以前より小型で124mになったものの、街の重要なシンボルとして存続している。4月~10月までの期間は入場可。夏期には階段を用いて塔に上ることができ、見晴らしがよい。(教会及び塔は11月~3月までの期間は閉館)
  • キーク・イン・デ・キョク  Kiek in de Kök
    1470年に建てられた塔。高さ38mのこの塔の名前はエストニア語で「台所を覗く」を意味する。かつて兵士達が塔の上から眼下に見える家の台所まで覗き見ることができたという話に由来している。現在は博物館となっており、タリンの城塞や地下道の歴史が展示されている。

郊外

  • カドリオルグ公園  Kadrioru Park
    市内から東へ向かう広い通りをナルヴァ街道と言い、その通りがちょうど海に面する辺りにこの公園が広がっている。この公園には、エストニアがロシア領になってから、ピョートル大帝がエカテリーナ皇妃のために造った離宮(Kadriorg Palace)が残っている。離宮はバロックスタイルで、イタリアの建築家ミッケチの設計により1718年から5年の歳月をかけて造られ、現在は美術館となっている。向かい側には大統領官邸がある。 2007年天皇皇后両陛下が離宮(カドリオルグ美術館)及び大統領邸を訪問された。
    園内にはいくつかの記念碑があり、そのうち海辺にある碑は、1893年に暴風雨のためバルト海に沈没したロシアの戦艦ルサルカの乗組員の慰霊碑である。2011年、公園内北東部に日本庭園が開園し、市民の憩いの場となっている。同年、圏内に「ひろしま祈りの石」が寄贈された。
  • 歌の広場  Lauluväljak
     カドリオルグ公園の北東、ナルヴァ街道とピリタ道路に挟まれたところに「歌の祭典」会場、「歌の広場」がある。1869年より5年に1度開催される「歌の祭典」は、「歌う民族」エストニア人のアイデンティティーの象徴となっており、1934年からは「踊りの祭典」も別会場で同時開催され、2003年に「歌と踊りの祭典」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。歌の広場には、合唱団が並ぶ野外音楽堂(1万5千人収容)と聴衆が座る丘がある。エストニア人建築家の設計により1960年に建てられた音楽堂は、美しいアーチ型の屋根が特徴であり、ソ連時代の代表的近代建築と評価されている。丘の上からはアーチの向こうに旧市街やフィンランド湾を望むことができる。音楽堂の脇に建つ灯台(高さ42m)の頂上には展望台と歌の祭典開会時に点灯される聖火台がある。
     今年7月4日~6日に「第26回歌と第19回踊りの祭典」が開催され、約19万7千人の出演者・観客が参加した。 
    2007年5月に天皇皇后両陛下がエストニアを御訪問された際には、特別企画により「歌の広場」で3,700名の合同合唱団による大合唱が行われ、両陛下を歓迎した。
  • ピリタ  Pirita
    カドリオルグ公園から海に沿って、更に車で5分程行った地域がピリタである。海水浴場をはじめ、ホテル、レストラン等がある。近くには15世紀の門と壁だけが残るビルギッタ修道院の遺跡もある。また、ピリタにはヨットハーバーもあるが、個人所有のヨットは少なく、多くはヨットクラブに所属する会員の共同所有になっている。これはモスクワオリンピック(1980年)のヨット会場として造営されたもの。今ではバルト海レガッタが毎年開催され、20ヶ国以上から参加者が集まる。

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