日本・エストニア友好協会 エストニア独立回復30周年とエストニア・日本友好100周年記念オンライン祝賀会を開催 北岡大使、出席してスピーチ
令和3年8月21日


8月21日、日本エストニア友好協会(吉野忠彦会長、荒井秀子事務局長)は、エストニアの独立回復30周年とエストニア・日本友好100周年を記念して、オンライン祝賀会を開催。
北岡大使は、荒井事務局長からの招待により出席し、スピーチを行いました。
祝賀会は、荒井事務局長の司会により進行。
まずエストニアの国歌斉唱に始まり、吉野会長の開会スピーチ、そして在京エストニア大使夫人のカイレ・ユルゲンソン女史とトイヴォ・タサ元駐日大使の挨拶が続きます。
さらに独立回復30周年が祝われた昨20日のニュース映像が流されたのち、ヤーク・レンスメント前駐日大使のスピーチがあり、そして昨日の30周年記念コンサートの映像が流れて、実際にコンサートに参加した井上重信准教授の現地レポートが行われました。
そして北岡大使がスピーチ。
25年前に在フィンランドの日本大使館で次席を務めていた大使は、当時特命全権大使がいなかった在エストニア日本大使館をサポートするために、何回か首都タリンやタルトゥを訪れたことがあります。
そして一昨年の10月1日に、大使としてタリンに戻って来たときの驚きを語りました。
タリンの中心部がビルの林立ですっかり変貌し、大使は出迎えた館員に二回も「俺は本当にタリンにいるのか?」と聞いてしまったのです。
週末になって旧市街に足を運び、ここは何も変わっていないので、ようやくタリンに戻って来たと納得することが出来ました!
半世紀にわたるソ連による併合の爪痕で、かつてフィンランドにも勝ったエストニアのGDPは、独立回復時にはフィンランドのそれの8分の1にまで落ち込んでいました。
しかしイルヴェス前大統領らエストニアの英邁な指導者が推進した急速なデジタル化もあって、エストニアは奇跡的な経済回復を遂げることが出来ました。
しかし大使は「経済回復を可能にした真の原因は、デジタル化ではなく、エストニア人そのものだ。700年の大国による支配と、半世紀にわたるソ連の併合という苦難の歴史の中で、いっときたりともその伝統、文化、そして言語を失わなかったエストニア人だからこそ、それが可能になったのだ」と発言。
「何故エストニアは伝統、文化、そして言語を維持出来たのか」との問いに、ユルゲンソン女史が「頑固さだ」と答えて下さったエピソードを紹介。
「たくさんのエストニア人の友達が出来たが、確かに皆頑固だ。自分はその頑固さが大好きだ!これからもエストニア人がとことん頑固であり続けながら、さらなる繁栄を極めて行かれることを祈念する」と結びました。
その後はフリートーキングタイムとなりました。
大使の友人で、両国の友好関係のためにいつも献身的なタイミ・パヴェス女史、そしてエストニアにおける日本研究の権威であるエネ・セラルト博士などのお話に加え、独立回復前から両国の友好関係に尽力して来た日本人の友好協会員のお話など、大使にとっては大変学ぶことの多い機会となりました。
それを与えて下さった、荒井事務局長に心より感謝です!
北岡大使は、荒井事務局長からの招待により出席し、スピーチを行いました。
祝賀会は、荒井事務局長の司会により進行。
まずエストニアの国歌斉唱に始まり、吉野会長の開会スピーチ、そして在京エストニア大使夫人のカイレ・ユルゲンソン女史とトイヴォ・タサ元駐日大使の挨拶が続きます。
さらに独立回復30周年が祝われた昨20日のニュース映像が流されたのち、ヤーク・レンスメント前駐日大使のスピーチがあり、そして昨日の30周年記念コンサートの映像が流れて、実際にコンサートに参加した井上重信准教授の現地レポートが行われました。
そして北岡大使がスピーチ。
25年前に在フィンランドの日本大使館で次席を務めていた大使は、当時特命全権大使がいなかった在エストニア日本大使館をサポートするために、何回か首都タリンやタルトゥを訪れたことがあります。
そして一昨年の10月1日に、大使としてタリンに戻って来たときの驚きを語りました。
タリンの中心部がビルの林立ですっかり変貌し、大使は出迎えた館員に二回も「俺は本当にタリンにいるのか?」と聞いてしまったのです。
週末になって旧市街に足を運び、ここは何も変わっていないので、ようやくタリンに戻って来たと納得することが出来ました!
半世紀にわたるソ連による併合の爪痕で、かつてフィンランドにも勝ったエストニアのGDPは、独立回復時にはフィンランドのそれの8分の1にまで落ち込んでいました。
しかしイルヴェス前大統領らエストニアの英邁な指導者が推進した急速なデジタル化もあって、エストニアは奇跡的な経済回復を遂げることが出来ました。
しかし大使は「経済回復を可能にした真の原因は、デジタル化ではなく、エストニア人そのものだ。700年の大国による支配と、半世紀にわたるソ連の併合という苦難の歴史の中で、いっときたりともその伝統、文化、そして言語を失わなかったエストニア人だからこそ、それが可能になったのだ」と発言。
「何故エストニアは伝統、文化、そして言語を維持出来たのか」との問いに、ユルゲンソン女史が「頑固さだ」と答えて下さったエピソードを紹介。
「たくさんのエストニア人の友達が出来たが、確かに皆頑固だ。自分はその頑固さが大好きだ!これからもエストニア人がとことん頑固であり続けながら、さらなる繁栄を極めて行かれることを祈念する」と結びました。
その後はフリートーキングタイムとなりました。
大使の友人で、両国の友好関係のためにいつも献身的なタイミ・パヴェス女史、そしてエストニアにおける日本研究の権威であるエネ・セラルト博士などのお話に加え、独立回復前から両国の友好関係に尽力して来た日本人の友好協会員のお話など、大使にとっては大変学ぶことの多い機会となりました。
それを与えて下さった、荒井事務局長に心より感謝です!

